1986(昭和62)年春にアークヒルズが竣工すると、社内にも「さあ、次は六本木6丁目(六本木ヒルズ)だ」という気運が盛り上がった。では、ここにどんな街を創るのか。そのころから、私は「世界」を強く意識するようになっていた。アークヒルズ竣工の前後、ちょうど第1次国際化の波が押し寄せ、外資系金融機関が拠点を探していた。彼らは、これまでの日本企業とは違う合理的な判断で、立地が劣るアークヒルズを日本の拠点として選んだ。
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その結果、アークヒルズは小さいながらも日本の国際金融センターになった。世界の主要な銀行の日本支店がほとんどここに集まったので、世界の銀行がとても小さいもののように感じられたほどだった。多くの外資系企業と外国人ワーカーを迎えて、その志向や営みを間近で感じたことも、六本木ヒルズの構想に大きな影響を与えた。彼らがアークヒルズを選択したのは、アーク森ビルのワンフロアの大きさやグローバルスタンダードな仕様、割安な賃料だけではない。国際レベルの住宅や一流のコンサートホール、ホテルが敷地内にあり、24時間型の街であったことや、各国の大使館や海外の子女を受け入れるスクールや外国人コミュニティがある港区の特性や環境を高く評価したからだ。「丸の内が日本経済の核ならば、港区では、世界を意識した街づくりができるのではないか」そんな気持ちが芽生えた。新橋・虎ノ門でナンバービルの開発を手がけていたときは、丸の内がお手本であり、目標であったが、私の理想の都市像は、ここから決定的に変わった。まだ、日本にも、世界のどこにも手本のない都市。それを目指して模索が始まった。